佐々井秀嶺、インドに笑う -- 著者;白井あづさ
佐々井秀嶺(敬称略)って知っている?インドのナグプールに住んでいる元日本人のお坊さんらしい。歳は今年(2025年)で90歳。1966年インドに移り住み、インド仏教の最高指導者となった。2011年インド国勢調査によると、インドでは仏教徒が約870万人。しかし隠れ仏教徒を含めると1億5,000万人と言われている。そのトップに君臨しているのが「小さなお坊さん」佐々井秀嶺である。単純に凄い。1億5,000万人って日本の人口よりも多いのだから。
この本は友人から紹介してもらった。読み進めていくうちに私は次の2つの点を知りたいと思うようになった。
- 何故、インドなのか?
- どのようにしてインド仏教の最高指導者に上り詰めたのか?
1. 何故、インドなのか?
佐々井秀嶺がインドに来た理由が本書で書かれてあったが、はっきりと覚えていないし、正直それにはあまり興味がない。いつもきっかけなんてものは大概、些細なことで、まとめてしまうと「興味があったから」程度のものだ。
しかしやり続けることには明確な理由がある。まぁ格好よく言えば「信念」というものだろう。私は
「何故、佐々井秀嶺は日本人からインド人になってまでインドで仏教を布教し続けられるのか?」
そこに興味を持った。
インドでは約80%の人がヒンズー教であり、人口にすると10億人以上。ヒンズー教はカースト制度と密接な関係があるため、法律ではカーストに基づく差別は禁止されているものの、精神的な面ではまだまだ根強く残っているようだ。特にカースト制度の奴隷(スードラ)よりも下の身分である不可触民(ダリット)に対する差別は現在も残存しているらしい。そしてダリットの人数は約2億人(インド人口の約16%)。つまりカーストに基づく差別で苦しんでいるインド人はとんでもない人数だと言えよう。
そんな環境で、佐々井秀嶺がインドで仏教を布教する一つの目的は
「インド人をヒンズー教から仏教に改宗させることで、カースト制度から精神的に開放させ、生きる希望を持たせる。」
だ。そして今、多くのインド人から生きる希望として、佐々井秀嶺が求められている。だから彼はインド人に国籍を変えてまでも、インドに滞在し続けられるのであろう。
私も同じような経験をしたことがあるので、分かるような気がした。人に求められることで、自分の存在意義を認識でき、それが幸せと感じるのだ。学術的に言うと、マズローの欲求5段階説のかなり上のレベルである。きっと多くのインド人に生きる希望を持たせることが彼にとっての幸せなのだろう。そして「多くのインド人に生きる希望を持たせる」という果てしなく、終わりのない信念があるからこそ彼はやり続けられるのだと思った。
2. どのようにしてインド仏教の最高指導者に上り詰めたのか?
佐々井秀嶺は多くの人が朝晩礼拝に来て、お互いに顔を合わせられるようにお寺を建てた。そうすると同じ悩みを抱えている人たちが集まるようになり、団結力が高まる。そして何かあれば、皆で一丸となって抗議するよう指導し、社会を動かしていけるようにした。こうして多くの人たちを導く力を身につけたことで、最高指導者に上り詰めたのだろう。
もともと数百ルピーしか持っていなかった佐々井秀嶺が、具体的にお寺を建てるまでの資金等をどのように調達したのか?本書では書かれていないのが個人的には多少残念であるが、多くの貧しいインド人のために村や町をまわって募金集めに奔走し、土木工事まで先頭に立って引き受け、多くのインド人と一緒に汗を流したことであろう。その苦労が大きかった分、多くのインド人から強く信頼され、彼が伝える仏教の教えが支持されることになったのだと思う。単にお寺を建てて、人が集まる場所を作っただけではインド仏教の最高指導者にはなれなかっただろう。
何も持たず、得たものは人に分け与える佐々井秀嶺の生き方は、究極的かつ理想的な生き方と言えるかもしれないが、今の私が求めるような生き方ではない。ましてや子供たちには絶対にして欲しくない生き方である。しかし万が一、人生が嫌になった時には彼の生き方は、おそらく「生きる希望」を持たせてくれるだろう。そんな時が来ないことを私は強く願っている。